学問の部屋です。
本書を読み終えました。面白かったので共有します。
民族音楽学者・小泉文夫さんの講演や文章や対談を集めた1冊です。
表紙にあるこの獅子舞のような写真ですが、実物を浜松の「楽器博物館」で見たことがあります。
表紙の裏側のキャプションには「バリ島のバロン・ダンス」とあります。
こうした入念なフィールドワークに基づいた研究の成果を読む醍醐味は、自分が抱いている曖昧で手垢のついたイメージを払拭できることです。
いろいろと興味深い指摘がありましたが、特に印象深かった点は2つ。
ひとつは、労働歌。
田植え歌など、働きながら歌う歌。
仕事を少しでも愉しいものにするために、働き手たちは歌をうたう……というのはあまりに牧歌的すぎるイメージです。ただでさえ体力を使うのに、歌っている暇などありません。じっさい、そうした歌がうたわれるのは、働いている時間外なのだといいます。
言われてみるとたしかに、と驚きました。あるいは、それはそうだよな、とうっかり知ったようなことを口にしてしまいそうですが、
これを実地で調べてみようと思う人はなかなかいません。頭が下がります。さらには、紋切り型のイメージに目を曇らされず事実にちゃんと気がつくことができる、というのも、ひとつの才能だと思います。
ふたつめは、「わらべうた」の伝播の仕方。
たしか、詩人・小説家のウィリアム・バロウズが、「言語は宇宙から飛来したウイルスである」と言っていますが、少なくともわらべうたは、まさにウイルスのように伝わることを小泉氏は検証しています。
それは今読むとまさにウイルスそっくりで、例えばある地域で広く歌われていたわらべうたを、親の転勤などに際してたった一人の子どもが引っ越し、転校先で歌ったがために、それが指数関数的に別の地域に広まる、ということは往々にしてあるようです。
そうした実証研究を知っておけば、日本のジャンケンが、南米はペルーの高山民族にまで伝わっているというケースも、べつだん驚くべき珍しいケースではありません。
事実と理屈からすれば十分に納得がいきます。これが知の力だと思います。
もちろん、小泉文夫氏は近年のパンデミックを知るよしもありませんが、きっとどこかの研究者のコンピュータに存在する、ウイルスの伝播の仕方をシミュレーションしたグラフと、わらべうたの伝播の仕方をシミュレーションしたそれとは、かなり似たものになるに違いありません(あくまで私の推測ですが)。
じつはもうひとつ、角田忠信氏と小泉氏との対談で、言語という観点から見た日本人と欧米人との脳構造の違いについて興味深い指摘ーーつまり、日本人の脳は自然界の音にも意味を見出す傾向があるのに対し、欧米圏の言語を話す人たちはそうした音をノイズとしか捉えないーーというものがありましたが、1977年の対談ということもあり、これはちょっと保留としたいところです。
『日本人の脳』という1978年に出版されベストセラーになった角田氏の著作にも書かれている主張だそうですが、ちょっと民族主義的なにおいがして、ただちに鵜呑みにはできません。
ともあれ、対談のなかにあってひとつだけ火を見るより明らかなのは、西洋音楽の歌唱法によって歌われる日本語のオペラが、その言語の構造上、あまりに相性が良くなさすぎるということ。これにはある程度納得ができました。
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