学問の部屋です。
1941年、ブエノスアイレス生まれのピアニスト、マルタ・アルゲリッチの伝記です。(2023年5月)現在も81歳にして世界で活躍しています。
まるで鍵盤を束にした指先で突くような勢いのある力強さと、抒情性あふれる(演奏は淡々としていますが)歌心のコントラストが魅力的なピアニストです。
本書にも詳しいですが、日本にも数多くのファンを持っています。大分県別府市では「別府アルゲリッチ音楽祭」が毎年開催され、気分が乗らないとすぐに予定をキャンセルすることで有名な彼女ですが、なぜか欠かさずに来日しています。
さて本書はそんな彼女に著者が密着取材して書いた伝記です。
とにかく、アルゲリッチという人の人生はつねにエピソードにこと欠きません。
そもそも彼女が初めてピアノを弾いたときのエピソードが唖然とするようなものです。幼い頃、幼稚園の同じクラスの男の子に、弾けるものなら弾いてみろと言われた幼いマルタが悔しくてピアノの前に座ると、なぜか習ったこともないのに曲を弾けてしまったのだそうです。
娘の天才に気がついた母親は、以後、娘とともにヨーロッパに渡ることになります。巨匠グルダに娘を弟子入りさせるためです。この、母と子の強烈な関係もとうてい読み流せるものではありません。
ブゾーニ国際ピアノコンクール、ジュネーヴ国際音楽コンクール、ショパン国際ピアノコンクールで優勝し、ピアニストとしてのキャリアが確立された後も彼女は、「ピアニスト」ではなく「学生」としての肩書で通しました。しかし"学生"とはいえ音階練習はあまり好まず、演奏する予定の曲をかなりの遅さで部品の不具合を確かめるようにあれこれの些事の合間に練習すればすでに曲が仕上がっているという塩梅です。
にもかかわらず舞台恐怖症で……と興味が尽きない人です。
次々とエピソードを紹介したくなってしまうので最後にお気に入りのエピソードを短く。
アルゲリッチがショパン国際ピアノコンクールに出場した時のこと。審査員たちはいちおうコンテスタントの演奏をしかつめらしく審査する決まりになっていたそうですが、彼女の演奏の後、審査員たちがうっかり総立ちになって惜しみない拍手を送ってしまったという話には、共感しもするし、笑えもするし、圧倒されもするしで、忘れられないエピソードです。
マルタの娘ステファニー・アルゲリッチが母を撮ったドキュメンタリー映画もあります。こちらも合わせてどうぞ。
【アルゲリッチ 私こそ、音楽! ステファニー・アルゲリッチ監督】
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