学問の部屋です。
歴史と物理学をかけ合わせた異色の本です。
冒頭、世界を変えた「道の間違い」のエピソードから始まります。その車には、オーストリア=ハンガリー帝国の皇太子フランツ・フェルディナンドとその妻が乗っていました。
運転手が間違って入った道の先には、偶然、セルビア人のガブリロ・プリンツィプが立っていました。しかもポケットに銃をひそませて。彼は「ブラック・ハンド」というテロリスト集団のひとりでした。
皇太子夫妻はその場で射殺され、その事件が引き金となって第一次世界大戦が始まりましたーーということになっています。
かなりキャッチーな冒頭ですが、しかし本書はむしろ、こうした歴史を動かした具体的事件の背後に焦点を絞っていきます。じつは、こうした大きな戦争が起きる原因として、上に挙げたような具体的エピソードはあまり重要ではないのではないかーーそんなたいへん衝撃的な仮説をかかげます。
あるいはまた、原因を特定できたとして、似たような事件を予測し、予防することが歴史家の仕事のひとつとするなら、そんなことはまったく不可能である、という立場を表明します。そもそも、大きな戦争、という捉え方じたいが、本書の考えにおいてはあまり意味をなさないのです。
どういうことでしょうか。
世界中で、例えばロシアによるウクライナ侵略戦争やフランスでのストライキによる暴動など、今も大小問わずいろいろな争いが起きています。
それをいちいち予測することが不可能であることは想像がつきます。そして、そうした小規模な争いと比べて、大規模な戦争が特別であるわけではないのです。大小問わず、それはある統計学的な法則に従ってまったくの偶然に生じるのです。
その法則というのが「べき乗則」です。べき乗則というのは、y=a^xの関数で表せるということです。
日本では日々気がかりな地震や、あるいは山火事、金融市場の株価変動、種の大量絶滅についても同様のべき乗則が働いていることが本書で示されます。
ただし、「臨界状態」にある、ということが条件です。臨界状態とは、水でいえば、気体と液体の状態が共存している状態。もう少し一般的に言うと、ある変化が起きる準備が整った状態といえばいいでしょうか。
例えば山火事。ある森林では規模の異なる火災が頻繁に生じています。また、常に生じうる状態にあります。それが大災害につながるか、すぐに消失するかは誰にも予測できません。ただ、その火災の規模と発生数とのあいだにべき乗則の関係があることだけはわかっているのです。
ところで、このくだりで得た知見は非常に興味深いものでした。
というのは、これまでの理屈でいえば火災発生をコントロールすることが不可能であることは当然のことですが、小規模の火災をまめに消し止めていると、かえってあとあと大災害につながる、という教訓です。
むしろ小規模の火災を放置することで、大規模な火災の発生を減らすことができるというのです。また本書の著者は、戦争についても同様のことを示唆しています。というのは、国家間の軋轢を調整している国際連合がかえって大規模な戦争を助長している可能性はないのか、という憶測です。
人類が自然現象などを完全に制御することが不可能であるとわかった今、また、歴史(物語)の因果関係がまったく根拠のないものであるとわかった今、べき乗則などの統計学的法則になるべく沿ったかたちで問題を眺めるという発想の転換が求められるのかもしれません。もっとも、すでに世界中で広く実践されているのかもしれませんが。
「このこと(べき乗則など)は、特定の出来事の裏にある、より深遠な歴史的過程の特徴を明らかにしてくれる。歴史学者が教えを請うべきは、カオスではなく普遍性からである。相互作用する様々な種類の物事からなる系が、非常に幅広い条件下で普遍的な特徴の振る舞いを示すという、奇跡に近い発見なのだ」(p.350)
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