学問の部屋です。
フランスはスイユ社から出版されたバンド・デシネ(コミック)の邦訳です。
英語、ドイツ語、イタリア語、スペイン語、中国語、アラビア語……あらゆる言語に翻訳されていることからも、世界中でいかに共感の嵐、とは言わないまでも、共感のつむじ風が吹いているか、容易に想像されます。
もっとも、若手研究者は本書を読んで戦慄するかもしれませんが。
本書の主人公は、パリのZEP(教育優先地域)の中学で働くジャンヌ・ダルゴンというフランス人女性です。
冒頭、彼女はアレクサンドル・カルポというフランツ・カフカの研究の権威である教授から、博士論文の指導をしてもよい、という旨のメールを受け取り歓喜します(奨学金を獲得することはできなかったものの)。
こうして、晴れて大学院の博士課程に在籍し、カフカをテーマに博士論文を書く環境が整ったわけですが……
この「……」のところが、本書の主な内容です。
大学で授業を持てるものの、書類手続きが煩雑でけっきょく無給で教えるはめになり、指導教官のカルポ氏はすぐに姿をくらましてしまいます。
グランゼコール(要するフランスのエリート養成校)を出てアグレガシオン(教授資格)を取得した同じく博士課程に在籍する女性とは、階級・学歴の歴然たる格差を痛感し、おまけに、そもそもジャンヌ自身、中学で教える仕事から逃避するために博士課程に応募したということもあり、論文のテーマさえなかなか定まらず、BNF(フランス国立図書館)にこもって研究を続けるうちに論文執筆は煮詰まってきてしまいます。さらには日常生活さえままならなくなり……
ちなみに本書は著者のティファンヌ・リヴィエールさんのソルボンヌでの"博士課程"体験に基づく漫画ですが、研究テーマはカフカではありません(アルバート・コーエンです)。
カフカといえば、朝起きたら虫になっていた(『変身』)とか、測量士として城に招かれたもののいつまでたっても城に辿り着けない(『城』)とか、ある日なぜか犯してもいない罪で起訴されあげくの果てに処刑される(『審判』)とか、初期設定じたいが常軌を逸した小説ばかりを書いた小説家です。
まさに博士課程や博士論文を取り巻く迷宮のような環境にぴったりの研究テーマです。
カフカ研究の権威である指導教官自身がカフカの小説に最適な登場人物であるところが皮肉ながらも笑えるところです。
またジャンヌも、何をするにもカフカのことばかり考えてしまい、口にしてしまい、恋人にも愛想を尽かされてしまいます。こうして彼女もまた、カフカ偏執狂へと「変身」し、カフカの迷宮にふさわしい人物として囚われていくわけです。
笑えるに笑いきれない、ブラックユーモアに満ちた1冊です。
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