学問の部屋です。今回は、フランスならではの、哲学の授業について。
フランスのバカロレア(高校卒業認定試験)では、「哲学」が必須科目とされています。
大学進学に際しても、高校での成績がすべてを左右するため、高校生たちも必死です。
試験時間は4時間。記述式の試験で、与えられたテーマについて論じなければなりません。書籍の持ち込みは不可。それまでに培った思考力と記憶力をたよりに試験にのぞみます。
本書にはフランスの高校生たちがどのように哲学を学んでいるかが詳しく書かれています。
おまけに、「幸福」をテーマにした、小論の書き方指南付き。
ちなみに、出題テーマランキングは以下のとおり。
5位 道徳
4位 理性
3位 真理
2位 芸術
1位 自由
なんともフランスらしいですね。「幸福」は第9位にランクインしています。
小論を書く上で重視されるのは、用語や概念の定義です。
幸福ひとつ取ってみても、哲学者たちの見解は多種多様。
幸福は最高善である(アリストテレス)
幸福は快楽である(エピクロス)
幸福は病の原因(フロイト)
孤独こそ幸福(ルソー)
幸福は幻影である(ショーペンハウエル)
……とまあ、言いたい放題なわけです。
最初に定義をしなければ議論が噛み合うはずがありません。
本書を読みながら見えてくるのは、ここでの哲学というのは、他者と議論をするための準備の場であるということ。多種多様な人たちが、ある用語・概念をいわば「仮留め」して、論理的に相手を説得しあう場。
まさに古代ギリシアの哲人たちが実践していたことです。
とはいえ、バカロレアの試験では、「思考の型」があって、本番にむけてこの型を学びます。しかし試験対策だからといって、この型はバカにはできません。
用語の定義→問題文を咀嚼して言い換え、いくつかの問題群に分ける→反対意見もその論拠を示しながら検討、問題点の指摘
例えばこの手順は、日常にも使えます(いろんな言葉を、あえて改めて定義しなおしてみると面白いです)。
「日本人が不幸なのは、哲学をやっていないからだ!!」という帯文の売り文句はおおげさすぎるとしても、
自分が直面した問題に対しみずからそれを引き受け、どうにかこうにかひとつの結論を導き出すこうした"技術"は、「道徳」の授業に時間を割くくらいなら、日本でも学校で教えたほうがいいように思います。
言語化すれば、漠然としたえたいの知れない不安も、うすらぐかもしれません。
考えるということは意外と、ピアノの練習と同じように、型や技術を学ぶ必要があります。
解剖学者の養老孟司さんがよく言うことですが、「さあみんなで考えましょう!」と教室で威勢のよいかけ声をかけたところで、そんなことは不可能。考えるときはみなひとりです。
Comments